― 人格評価という発想の限界と制度の本音 ―

結論
この種の設問は「人間性を正確に見抜く」ためのものではなく、
制度として「明らかに不適切な回答をする者をふるい落とす」ための装置である。
人格を測定する試みというより、最低限の社会的言語能力と規範理解を確認する安全弁として機能していると整理できる。
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① 問題文が要求していることの正体
提示されている設問は、一見すると
・誠実さ
・共感性
・倫理観
といった「人間性」を測ろうとしているように見える。
しかし実際に求められているのは、
・状況を理解し
・相手を過度に刺激せず
・社会的に破綻しない文章を構成できるか
という、極めて形式的な能力である。
この問題で問われているのは、
「正しい感情を持っているか」ではなく、
「社会的に許容される言語表現を選べるかどうか」である。
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② 「内面」を測ろうとすることの構造的な無理
一般に「共感性があるか」「倫理的か」といった内面属性は、
・短時間
・一回限り
・書かれた文章
から客観的に判定できるものではない。
仮に、
・本心では冷淡
・共感が乏しい
人物であっても、
社会規範を理解し、適切な言葉を選び、安全に行動できるのであれば、
制度上それを排除する合理的根拠は存在しない。
逆に、
強い感情や正義感を持っていても、
行為として逸脱すれば医療者としては危険である。
制度が評価可能なのは、
「内面」ではなく「行為と判断」だけである。
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③ 予測的排除の危険性
この種の設問には、
「将来問題を起こしそうな人を事前に排除したい」
という発想が背景にあると考えられる。
しかしこれは、
「犯罪を起こす前に犯罪者を特定せよ」
という思考と構造的に同一であり、
恣意性と人権侵害のリスクを不可避に含む。
そのため現代の医療制度は、
人格の純粋さや善性を評価する方向から撤退し、
「してはいけない行為の線引き」を明確にする方向へ移行している。
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④ 国家試験における禁忌問題との連続性
医学部入試の人格設問と、
国家試験の禁忌問題は、本質的には同じ思想に立っている。
禁忌問題が問うのは、
・なぜそう考えたか
・どんな人間か
ではなく、
「その選択が安全性・倫理性の下限を割っていないか」である。
これは
善人を選ぶ試験ではなく、
明確に危険な判断をする者を止めるための制度的安全装置である。
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⑤ なぜこの形式が今も残っているのか
完全に無意味であれば、すでに廃止されている。
それでも残っている理由は、
・極端に逸脱した回答
・社会的文脈を全く理解していない表現
を示す受験者を、最低限排除する効果があるからである。
つまりこの設問は、
「人格を評価する試験」ではなく、
「社会的言語能力の最低基準チェック」として残存している。
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まとめ
・この種の設問は、人の本質を見抜くためのものではない
・評価対象は内面ではなく、表現と判断の形式
・人格予測は制度として成立しない
・医療制度は、内面ではなく行為の下限を管理する方向へ進化している
・入試の人格設問は、その過渡期的遺物であり、安全弁としてのみ機能している
結局のところ、
「人の本質は分からない」という前提に立たなければ、
制度は公平性も安全性も維持できない。
この問題が示しているのは、
人間を測ろうとする制度の限界そのものである。
