結論から述べると、右脳と左脳が身体の反対側を制御している現象、内臓が左右非対称に配置されている事実、言語機能が主に左半球に偏る傾向、そしてイカや昆虫では神経交差の様式が異なることは、単純な「進化のバグ」が残った結果である可能性は低いと考えられている。これらは進化の歴史的制約と発生過程の分子機構、そして機能的適応の複合的結果として形成・保存されてきた構造である可能性が高い。一方で、それぞれの現象について完全に統一的な単一理論で説明できる段階には至っていない。
まず、右脳と左脳が反対側の身体を制御する仕組みについて整理する。この現象の中心にあるのは錐体交叉である。大脳皮質から伸びる運動神経線維の多くは延髄下部で交差し、左半球は右半身を、右半球は左半身を主に制御する。この構造はヒト固有ではなく、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類など多くの脊椎動物で確認されている。したがって、これは人類の特殊な設計ミスが固定されたというより、脊椎動物の進化初期に確立された基本構造である可能性が高い。
交差の理由については複数の仮説がある。第一に体軸ねじれ仮説がある。この仮説では、脊椎動物の祖先段階で発生過程において頭部側がねじれた結果、神経系が交差構造を持つようになった可能性が指摘されている。発生学研究では、左右軸の決定が胚の初期段階で分子レベルで制御されていることが示されている。Nodal、Lefty、Pitx2などの遺伝子群が左右差の確立に関与することが動物実験で報告されている。これらのシグナル伝達経路の存在は、左右非対称性が偶発的な誤配線ではなく、発生プログラムの一部である可能性を示唆する。
第二に視覚との整合性仮説がある。視神経は視交叉で一部が交差する。左視野の情報は右半球へ、右視野の情報は左半球へ送られる。もし運動神経が交差しなければ、視覚空間を処理する半球と、その空間に対応する身体側を制御する半球が分離する可能性がある。視覚情報と運動制御を同一半球に統合する構造は、神経回路の効率性の観点から合理的である可能性がある。ただし、この仮説のみで全てを説明できるという決定的証拠は存在しない。
第三に進化的保存の観点がある。進化は最適設計を目指す過程ではなく、既存構造の改変である。一度成立した構造が致命的な不利益を生まなければ、そのまま保存されやすい。左右交叉は生存に重大な不利益を与えなかった可能性が高く、一定の適応的利点を持った可能性もある。
次に、内臓が左右非対称である理由を考える。ヒトでは心臓は左寄り、肝臓は右側優位、胃や脾臓は左側に配置される。この左右非対称は発生段階で決定される。胚のノードと呼ばれる構造に存在する繊毛の回転が左向きの液流を生み、その流れが左右非対称な遺伝子発現を誘導することがマウスなどで示されている。Nodal経路の活性化が左側に偏ることで内臓の位置が規定される。
内臓が非対称である機能的理由としては、胸腔・腹腔内の空間効率の向上が考えられている。左右に分散することで臓器同士の干渉を減らし、血管や消化管の配列を合理化できる可能性がある。ただし、内臓が完全に逆転する全内臓逆位の人でも多くは通常通り生活可能であることから、左右どちらであっても基本機能は成立することが示唆される。したがって、左右非対称は絶対条件というより発生プログラムの固定パターンである可能性がある。
言語機能が左脳に偏る理由については、神経心理学的研究が多数存在する。ブローカ野やウェルニッケ野など言語関連領域は多くの右利き成人で左半球優位に活動することが機能的MRIや脳損傷研究から示されている。ただし、全員が左優位ではない。左利きの一部や両利きの人では右半球優位または両側分布が見られる。
言語左半球優位の理由としては、運動制御との統合仮説がある。言語は微細な口腔・喉頭運動を必要とする。利き手を制御する半球と同じ側に言語機能を集約することで神経回路の効率が高まる可能性がある。また、左右で機能を分担することで情報処理の並列化が進み、干渉を減らす効果があるという仮説もある。幼少期に左半球が損傷した場合、右半球が言語機能を代償する例が報告されており、完全固定構造というより発達過程で強化される傾向である可能性がある。
では、イカや昆虫ではどうか。ここで重要なのは、脊椎動物と無脊椎動物では神経系の基本配置が異なることである。脊椎動物は背側に中枢神経系を持つ。一方、昆虫などの節足動物は腹側神経索を持つ。発生学的比較では、脊椎動物と節足動物で背腹軸が逆転している可能性が指摘されている。昆虫では体節ごとに神経節が配置され、脊椎動物のような大規模な錐体交叉は存在しない。
イカなどの頭足類は高度な神経系を持つが、その構造は脊椎動物とは独立に進化したと考えられている。これは収斂進化の例とされることが多い。神経の交差様式は系統ごとに異なり、左右交叉は生物界の普遍的設計原理ではない。
総合すると、左右交叉、内臓非対称、言語左半球優位、無脊椎動物との違いは、それぞれが独立した現象ではなく、発生学的左右決定機構と進化的制約の枠組みの中で理解されるべき問題である。これらを単純な合理設計やバグという二分法で捉えることは適切ではない可能性が高い。進化は既存構造の上での改変であり、歴史的偶然と機能的適応の重なりの中で現在の構造が成立したと考える方が整合的である。
【コメント】
人間のビタミンC生成能力の欠如みたいに神経交差もバグのまま残ってるのかと思ったけど違うみたい
