結論
日本とアメリカの戦争は「突然起きた衝突」ではなく、10年以上積み重なった外交・経済・軍事・価値観の衝突の帰結であり、原爆投下は当時の勝者が裁かれなかった戦争犯罪的行為だったが、その圧倒的な非人道性ゆえに世界のルールと意識を変え、核兵器を「使えない兵器」に封じ込める決定的な転換点になった、この二つは同時に成立する
日本とアメリカはなぜ戦争になったのか
日米戦争は1941年に突然始まったわけではない
出発点は1931年の満州事変以降、日本が中国大陸に軍事的・政治的に深く関与し始めたことにある
アメリカは中国の門戸開放と現状維持を重視し、日本の行動を「力による秩序変更」と見なした
1937年の日中戦争拡大により両国の不信は決定的になり、アメリカは中国支援、日本は撤退不能という構図が固まった
1940年以降、アメリカは鉄くず、航空燃料、最終的に石油の対日輸出を制限し、日本のエネルギー生命線を締め上げた
当時の日本は石油の約8割をアメリカに依存しており、この制裁は「戦わずして国家を窒息させる圧力」と受け止められた
一方アメリカ側は「戦争拡大を止めるための非軍事的手段」という自己認識だった
この認識の非対称が、開戦への道を決定づけた
三国同盟は日本にとって何だったのか
1940年、日本はドイツ・イタリアと三国同盟を結んだ
狙いはアメリカ・イギリスへの牽制であり、背後に欧州の勝者がいるという威嚇だった
しかし結果的には日本を「枢軸国」と明確に色分けし、アメリカの警戒と包囲を加速させた
短期的抑止を期待した賭けだったが、長期的にはアメリカを本気にさせた判断だった
日本は本当に追い込まれていたのか
アメリカの要求は中国・仏印からの撤兵と三国同盟の事実上の否定だった
これは日本にとって10年以上積み重ねた国策の全面否定であり、軍部の正当性と国内政治を崩壊させかねない内容だった
飲めば国家として立ち行かず、拒めば戦争という二択に近い状態だった
ここで日本が合理的判断を下せたかどうかとは別に、「追い込まれていた」という認識自体は成立する
宣戦布告と真珠湾攻撃はなぜずれたのか
日本は本来、攻撃前に通告を行う方針だった
しかし実際には真珠湾攻撃開始後、約1時間以上遅れて通告が提出された
原因は外務省と大使館の能力不足、軍と外交の分断、時間厳守意識の欠如だった
これは偶然ではなく、日本という国家システムの欠陥が露呈した結果だった
この一点がアメリカに「騙し討ち」という完璧な物語を与え、国内世論を一気に参戦へ動かした
アメリカは戦争をしたかったのか
アメリカ政府、特にルーズベルト政権には参戦意欲はあったが、国内世論という制約があった
日本の行動はその制約を突破する最高の材料になった
日本が従っても、戦争を仕掛けても、どちらでもアメリカが主導権を握れる構図が出来上がっていた
この意味でアメリカは国際政治的に非常に上手だったと言える
原爆はなぜ使われたのか
原爆投下の名目は「本土決戦を回避し、米兵の犠牲を減らすため」だった
しかし日本本土は特攻によって実質的に脅かされていたわけではなく、アメリカ本土は無傷だった
特攻は主に沖縄・フィリピン周辺海域で行われ、戦局を左右する軍事効果はなかった
米兵が恐怖したのは事実だが、その恐怖の原因は18〜20歳の若者を片道で送り出す日本の国家的破綻にあった
その恐怖を理由に民間人都市を破壊する論理は成立しない
原爆はどこに落とすか選ばれていたのか
原爆投下は偶然ではなく、徹底的に計算されていた
候補都市には京都、広島、横浜、神戸、小倉などがあった
京都は文化破壊が戦後統治を困難にすると判断され、意図的に外された
東京は象徴性が強すぎ、天皇制と統治機構を壊す恐れがあったため対象外だった
広島は軍司令部と兵站拠点を持ち、地形的に爆風効果を測定しやすく、空襲被害が少なかったため選ばれた
長崎は第二目標であり、第一目標だった小倉が天候不良で視認できなかったため変更された
いわゆる「ラッキー小倉」という表現は、犠牲を付け替えただけの事実を軽薄に言い換えた不適切な言葉である
実際に狙ったのは軍事基地だったのか
名目上は軍事拠点・軍需工場が理由とされた
しかし爆心地はいずれも都市中心部であり、民間人密集地だった
原爆は軍事目標だけを破壊できる兵器ではなく、都市全体と民間人被害を前提とした兵器だった
被害の範囲は制御不能であることは最初から分かっていた
放射線の長期影響は過小評価されていた可能性はあるが、民間人が大量に死ぬこと自体は想定内だった
原爆は当時の国際法で許されていたのか
当時有効だったハーグ陸戦条約には民間人保護、無防備都市攻撃の禁止、不必要な苦痛の禁止が原則として存在していた
空爆や新型兵器への具体規定が未整備だったため、条文違反と断定されなかった
しかし原則には明確に反している
倫理的には毒殺や銃殺と本質的に変わらず、戦争犯罪と評価することは妥当である
裁かれなかった理由は、勝者が裁く側だったからに尽きる
放射能はどれくらい残ったのか
広島・長崎の原爆は空中爆発であり、放射性物質の総量は原発事故よりはるかに少なかった
強い放射線は数日から数週間で急減し、数年以内に生活可能な水準まで低下した
一方、福島第一原子力発電所事故は核燃料そのものが残り、長期的な汚染が続いている
広島・長崎が復興できたのは都市機能としてであり、被爆者の健康被害は一生続いた例も多い
原爆は無意味だったのか
原爆は決して正当化できない
しかし「意味がなかった」と切り捨てることもできない
あまりにも非人道的だったからこそ、核兵器は「使えない兵器」として世界に共有された
もし広島・長崎の現実がなければ、冷戦期に別の都市で使われていた可能性は否定できない
人類は理屈では学ばず、現実の地獄を見て初めて学んだ
これは原爆を肯定することとは全く別の話である
原爆投下後に国際法は変わったのか
原爆投下後、国際人道法は大きく変化した
1949年のジュネーブ諸条約改定により、民間人保護が国際法の中核原則に格上げされた
核兵器・化学兵器・生物兵器は大量破壊兵器として特別視され、「使用そのものが文明的に許されない」という規範が形成された
1968年の核不拡散条約は、核兵器を使わせないための現実的妥協として成立した
原爆そのものは遡って違法と宣告されなかったが、原爆を前提に世界のルールが作り替えられた
総括
日本はアメリカにしてやられた
原爆は勝者に裁かれなかった戦争犯罪的行為だった
世界は残酷で、その構造は今も変わらない
それでも原爆は人類史上最悪の基準点として、二度と越えてはいけない線を世界に刻みつけた
賛成はできない
許し難い
しかし無意味だったとは言わない
この矛盾を抱え続けること自体が、原爆を最も重く扱う態度だと考える
参考文献
リチャード・ローズ「原子爆弾の誕生」上下巻
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」
広島市公式資料「原爆被害の概要」
長崎市公式資料「原爆被災資料」
国際赤十字委員会「1949年ジュネーブ諸条約解説」
外務省「核不拡散条約(NPT)解説」
【コメント】
ふと戦争から85年と言うワードを聞いて、1941年に開戦して、そこから4年間戦争していたのかと疑問に思ったのがきっかけだった
ちょうどロシアがウクライナに侵攻してからと同じ位の年月が経った戦争だったわけだが
僕の感想としては、アメリカがどこまでも上手だったなと言う感じ
従わせるか、戦争を起こさせるか全て仕組んでいて、日本がアメリカに従うのでも戦争をふっかけてくるのでもどちらでも良いように調整していた
ただし、原爆だけは絶対に擁護できない
どんな理由であれ、民間人に危害を加えた事は、許されるべきことではないんだけど、それすらも、アメリカの世論も含めて賛否両論という形に落ち着かせているのが、本当にアメリカが狡猾で賢いという認識を抱かせた
ただ思ったのは、もし日本に原子爆弾が増加されていなかった場合、冷戦でロシアかアメリカが原子爆弾を使ってしまって、今世界がもう完全に崩壊していたかもしれない
広島と、長崎の惨状を見て、こんなものが絶対に使ってはまずいと。自分たちの国に落とされてもしたら、たまらないと世界中が学んだからこそ、今日まで核が投下されていないのだと思う。
人間は最悪の形からでしか学べないから、どこかのタイミングでどこかの国が核を使用していたことを間違いないと思う。
何せをもっと学ばないといけないなぁと言う感じです。歴史と考え方を。
