おばあちゃんの知恵は時代遅れなのか?本当に非科学的なのか?育児・家族・生存・自然選択から見たおばあちゃんの知恵を徹底解説

結論

おばあちゃんの知恵とは、机上の空論でも感情論でもなく、数万年から数十万年にわたる生死を分ける現実の中で淘汰をくぐり抜け、生き残った人間だけが次世代に伝えることを許された、生存実績付きの知の集合体であり、育児・家族・共同体・生き方に関する本質は、現代の科学技術や経済モデルがいかに進歩しても、ほとんど変わっていない。

おばあちゃんの知恵とは何か

おばあちゃんの知恵とは、特定の誰かが理論として発明したものではなく、無数の無名の人間が、飢餓、病気、災害、寒さ、戦争、過酷な労働、極限のストレスにさらされながら生き延びる中で、「それをやらなかった者は死に、それをやった者だけが生き残った」結果として残った生活様式、判断基準、育児法、人間関係の作り方、共同体のあり方の総体である。

知恵は考え出されたものではなく、生き残ったものだけが残った結果である。

なぜおばあちゃんの知恵は残ったのか

生き残らなければ親になれない

親になれなければ祖父母になれない

祖父母になれなければ知恵を語る立場に立てない

つまり、伝えられている時点で、その知恵は「生存に成功した系統の副産物」である。

理想論や美しい思想、合理的に見える制度であっても、それを採用した集団が滅びれば、その考えは歴史から消える。

残っているという事実そのものが、過酷な現実を通過した証拠である。

おばあちゃんの知恵と科学の違い

科学は限定条件下での再現性を重視する

科学は比較的安全な環境で検証される

科学は数年から数十年単位の時間軸で評価される

一方でおばあちゃんの知恵は、

失敗=死という条件下で検証され

検証者は無数の人間で

検証期間は数万年から数十万年に及ぶ

科学が劣っているのではない

扱っているスケールとリスクがまったく違う

育児や家族の在り方は、典型的な複雑系であり、短期・単変数の検証では捉えきれない領域である。

なぜ現代人はおばあちゃんの知恵を軽視するのか

近代以降、人間は「設計できる」という錯覚を持った

社会制度を作れば人間はそれに適応する

経済モデルを変えれば行動も変わる

科学技術が進めば問題は解決する

しかし人間の脳、身体、愛着形成、ストレス反応は、文明以前に完成している

設計できると思い込んだ結果、環境と人間の仕様がズレ始めた

便利になったのに苦しい

合理化したのに疲弊する

これは失敗ではなく、設計不一致のサインである。

育児におけるおばあちゃんの知恵

子どもは親二人だけで育てるものではない

これは感情論ではなく、生物学的事実である

人間の子どもは未熟な状態で生まれ、長期間のケアを必要とする

単独育児は人類史的に例外

複数の大人による分散ケアが前提

祖父母、親族、地域が関与することで、

親の負担が分散され

子どもは多様な人間関係を学び

社会性とストレス耐性を獲得する

親二人完結主義は、ここ100年ほどの特殊な実験にすぎない。

おばあちゃんの知恵と三世代同居

三世代同居や近接居住は、

住居コスト

育児コスト

心理的孤立

体力的負担

これらを最小化する合理的な形だった

現代で再び実家回帰が起きているのは、退化ではなく適応

無理なシステムは長続きせず、より負荷の低い形へと戻る

これは自然選択と同じ構造である。

おばあちゃんの知恵と「迷惑をかける」という発想

子育ては本来、迷惑を含む営みである

泣く

騒ぐ

失敗する

それを社会全体で受け止め、叱り、導き、許す

迷惑を完全に排除した環境は、発達上の虐待に近い

責任だけを親に集約し、関与を禁止する社会は、論理的に矛盾している。

おばあちゃんの知恵とお金

子どもを育てるのにお金は必要条件の一部ではある

しかし十分条件ではない

健康

愛着

安心

自己肯定

ストレス耐性

これらはお金では直接買えない

おばあちゃんの知恵は、金銭投入ではなく、時間、関係性、共同体を重視してきた

これは貧困の美化ではなく、現実的な資源配分の最適化である。

おばあちゃんの知恵と競争

人類史の大半において、無限競争は存在しなかった

集団内での役割分担と協力が生存戦略だった

常に一位を目指す構造は、近代以降の特殊な社会設計

競争は一部では有効だが、全面化すると人を壊す

おばあちゃんの知恵は、比較よりも居場所を重視する。

おばあちゃんの知恵と日本という環境

日本は災害が多く

農耕中心で

高密度集団社会

この環境で生き延びるために、

協調

分担

我慢

助け合い

が最適化されてきた

日本のおばあちゃんの知恵は、日本という自然環境と社会条件に適応したアルゴリズムである。

現代科学とおばあちゃんの知恵は対立するのか

対立しない

役割が違う

科学は短期・限定条件の改善に強い

知恵は長期・最悪条件での持続性に強い

問題は科学を万能だと誤解し、長期知を切り捨てる態度である。

結局おばあちゃんの知恵とは何か

それは

人間が壊れずに生き延びるための最低条件の集合

最悪の環境でもそれなりに機能する方法

失敗したら死ぬ状況で選別された実践知

である。

それを時代遅れと切り捨てることは、進歩ではなく記憶喪失に近い。

参考文献

Jared Diamond「銃・病原菌・鉄」草思社

Sarah Blaffer Hrdy「Mothers and Others」Harvard University Press

Joseph Henrich「The WEIRDest People in the World」Farrar, Straus and Giroux

Robin Dunbar「Grooming, Gossip and the Evolution of Language」Harvard University Press

厚生労働省「人口動態統計」

内閣府「少子化社会対策白書」

【コメント】

猫と子供が戯れている動画とか、いとこの出産の話とか聞いてたら子供が欲しいなぁと思って

ただし、自分にその資格があるのかどうかとか考えていたら、遺伝子とか核家族の子育ての限界とかたどり着いて、結果的におばあちゃんの知恵になりました

結局、こういう数十万年の知恵を馬鹿にするようになって無視するようになっていったら、過去生き残ってきた知恵を失ってあっさり絶滅するんだろうなと思います

技術に溺れて、環境や自分自身たちをコントロールできると思い込んで、過去の教訓に学ぶことを辞めてしまった驕り高ぶった愚かな生き物たちの末路ですよね

別に電気があろうがなかろうが、スマホがあろうが、AIがあろうが、子育てとか生きるのに、本質的に必要なものは何も変わってないでしょ。

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